特別企画

鉄道ライター・杉山淳一の「鉄道ジオラマ旅情」、第2回:敦賀「敦賀赤レンガ倉庫 ジオラマ館」

「日本遺産」の鉄道史を再現する巨大ジオラマ

今回の旅:「敦賀赤レンガ倉庫 ジオラマ館」

所在地: 福井県敦賀市金ケ崎町4番1号
開館時間:9:30 ~ 17:30 (最終入館は17:00)
休館日:毎週水曜(水曜が祝日の場合は翌日)、12月30日から翌年1月2日まで
入館料:一般 400円 小学生以下 200円 模型運転体験 100円/3分間
アクセス:敦賀駅から「ぐるっと敦賀周遊バス」で9~11分
※2020年8月27日現在 模型運転体験は休止中

 北陸新幹線は高崎~長野間で開業し、金沢へ延伸した。次の目的地は福井県の敦賀市で、2023年3月開業予定だ。敦賀と言えば、戦前は東京から敦賀港まで欧亜連絡特急が走っていた。敦賀市はその遺構を活かして、SLも走る鉄道公園を整備する構想がある。また、欧亜連絡特急の経由地、滋賀県長浜市には現存する日本最古の駅舎があり、当時の資料が展示されているという。

 長浜~敦賀間は北陸本線の旧ルートの遺構が残っている。さらに敦賀の東、南越前町にも北陸トンネル開通以前の旧ルートの遺構がある。鉄道ファンとして、北陸新幹線が敦賀へ延伸したら、これらの遺構や博物館を巡りたい。

 そう思っていたところ、ご縁があって、長浜市、敦賀市の人々に会い、周遊観光の可能性を探る機会を得た。2019年の初夏の旅。各地域の方々に案内していただいた中で、強烈な印象を持つ施設のひとつが「敦賀赤レンガ ジオラマ館」の「ノスタルジオラマ」だった。今回はこの施設を紹介していこう。

1905年に建てられた石油貯蔵庫の中に巨大ジオラマがある
2階からの眺め。左手に入口がある。とにかくでかい。そして空間の使い方が贅沢
館内の解説マップ。白い部分がピット。沖や山頂から敦賀の街を眺められる
【著者近影】
久々の鉄道旅は8月10日。大井川鐵道と富士山遊覧飛行を組み合わせたツアーだった。空から観る富士山、静岡空港、大井川鐵道の線路はまるでジオラマのよう。ん? この例えは変か。ジオラマにしたい景色だった(笑)

鉄道開業によってもたらされた物流革命を記すジオラマ

 2020年6月19日、文化庁は「日本遺産」として「海を越えた鉄道 ~世界へつながる 鉄路のキセキ~」を認定した。認定地域は福井県敦賀市と南越前町、滋賀県長浜市だ。2023年春に予定される北陸新幹線の敦賀延伸をにらみ、観光面の活性化に弾みがついた。

 「海を越えた鉄道 ~世界へつながる 鉄路のキセキ~」は「長浜~敦賀間の鉄道開業によって、滋賀県と福井県に物流の革命が起きた」、「敦賀港を介して日本と外国との交流が始まった」という歴史と文化を関連付けている。敦賀市、南越前町、長浜市は、鉄道遺産を活かした観光に取り組み、2017年から日本遺産認定を目指して連携してきた。それぞれに鉄道の歴史を紹介する施設があり、ジオラマも用意している。

こちらは滋賀県長浜市にある「長浜鉄道スクエア」。現存する日本最古の駅舎で、内部は鉄道博物館になっている
「長浜鉄道スクエア」のジオラマは現在の長浜駅付近を再現している。分割式レイアウトのモジュールを繋いだような作品で、エンドレス(周回)の内側から眺める。出入り口は中央の階段
東海道本線の新旧の車両が競演していた
南越前町の今庄駅。駅舎内の「今庄まちなみ情報館」は旧北陸本線の資料を展示する
昭和30年代の今庄駅を1/45スケールで再現
列車は動かないけれども、駅構内の再現は緻密
人形ひとつひとつにドラマを感じられる
北陸トンネルが開通するまで、今庄駅で勾配区間の補助機関車を連結した。東海道本線で例えれば、丹那トンネル開通前の国府津駅や沼津駅のような役割だった

明治政府が重視した敦賀港

 少し長くなるけれど、この地域の鉄道史を説明しておきたい。ジオラマを見るときの感動が増すと思うから。

 明治政府は東京~大阪間の鉄道建設に着手した。1872年の新橋(現在の汐留地区)~横浜(現在の桜木町)の開業以降、線路を西へ延ばしていく。大阪側は神戸~大阪~京都を建設し、さらに琵琶湖西岸の大津に至った。少し遅れて名古屋地区でも武豊~熱田間の開業から西へ延伸していく。

 そしてもうひとつ、支線として整備された区間が敦賀~長浜間だった。後に北陸本線となる線路で、東京~大阪間が全通する前の1882年に開業した。ただし柳ヶ瀬トンネルが未開通だったため、徒歩で乗り継ぐ形となった。長浜~大津間は琵琶湖の船便で連絡した。この支線は長浜から東へ進み、1883年に関ヶ原まで開業した。1884年に柳ヶ瀬トンネルが開通し、敦賀~長浜間の線路がつながった。

 東海道本線の全通は1889年だ。ただし、当初はこちらも長浜~大津間は琵琶湖の船便を使った。つまり、東京~大阪間よりも敦賀~東京間の鉄道ルートが先に完成した。東海道本線の琵琶湖連絡船時代が続いた理由は、明治政府におカネがなかったからで、大阪を軽視したわけではない。しかし、この鉄道建設の歴史から、明治政府がいかに敦賀を重視していたかがわかる。

1989年当時の路線図。東京~大阪間の直通列車より、東京~敦賀間の直通列車が先に走り始めた。(地理院地図を加工)

 敦賀とはどんな街だったか。じつは、平安時代から国際港だった。中国大陸からの使節「渤海使(ぼっかいし)」の寄港地の1つ。その後は日本海の海運の拠点として栄えた。国内では日本海沿岸都市の荷が敦賀を経由し、陸路や琵琶湖の船便で京都や大阪へ運ばれた。東海道本線と敦賀港を鉄道で結べば、北前船の荷を大阪へ早く運べる。また、東京へ運ぶルートも、船で関門海峡や津軽海峡を遠回りするより短縮できる。

 しかし皮肉なことに、鉄道の整備によって国内海運は衰退していった。そこで敦賀港は海外との貿易を重視する。明治政府が近くの舞鶴港に鎮守府を置いて軍港色を強めたため、敦賀港は国際貿易港として特化し、ますます発展していった。

「今庄まちなみ情報館」敦賀港駅周辺を再現するジオラマもあった

 1902年、ロシアのウラジオストクと敦賀を結ぶ定期船の運航が始まる。その翌年、シベリア鉄道が全通し、ヨーロッパまで船と鉄道で行けるようになった。そして1910年、日本と欧州の鉄道の間で協定が結ばれ、日本の主要都市からヨーロッパ行きの鉄道きっぷが売り出された。東京からモスクワ、ベルリン、パリ、ロンドンへ、順調に乗り継げるダイヤが組まれたという。東京からヨーロッパまで、西回りの船便で約1カ月かかるところが、モスクワまで14日間で行けた。この海外旅行のために東京と敦賀港(金ケ崎)を結ぶ「欧亜連絡特急」が運行されていた。

 今回紹介する「ノスタルジオラマ」は、欧亜連絡特急の全盛期、昭和初期の敦賀を再現している。

赤レンガ倉庫1棟まるごとジオラマ館!

 敦賀港には往時の歴史を残す建物がいくつかある。赤レンガ倉庫もその1つ。1905年に石油貯蔵庫として外国人技師の設計で建てられた。戦時中は軍の備品倉庫、戦後は昆布貯蔵庫として使われた。2009年に北棟、南棟、煉瓦塀が国の登録有形文化財に登録された。この建物を観光のシンボルとするため、北棟を『ジオラマ館』、南棟を『レストラン館』とした。北棟に隣接して国鉄時代の急行用気動車「キハ28」も保存展示されている。

 『レストラン館』を通り抜け、『ジオラマ館』へ。ジオラマ展示室の扉が開いたとき、「うわっ、でかっ」思わず声を上げた。視野いっぱいに敦賀の景色が広がっていた。スケールは1/80。幅は約27メートル。奥行きは約7.5メートル。東海道新幹線のN700系車両の先頭車を2台並べられるほどの面積だ。

左側のループ線から全景を撮る。幅が広すぎて、正面から全体を撮影できない

 これを初めて見たときの驚きは何に例えたら解ってもらえるだろう。失礼ながら「なんでこんな地方都市に、これほど大規模なジオラマがあるのか」と思った。参考までに、さいたま市の鉄道博物館は幅が約23メートル、奥行きが10メートル。これとほぼ匹敵する。鉄道博物館のように「あそこにジオラマがある」と認識して近づくと心の準備もできるけれど、扉を開けると心構えのいとまもない。真っ暗な洞窟を通り抜けて、光り輝く宝の山を見つけたような驚き。そう、これは宝物だ。ボクが見つけた宝物だけど、みんなに教えたくなる。

メインの風景は敦賀の街だ。南側から俯瞰する眺めになる。中央に敦賀駅、その向こうに敦賀の街、そして敦賀湾。水平線と青空の壁が接している。この青空はスクリーンとなって映像を映し出す。展示プログラムは9時30わから30分ごと。10分間で夜明から夜までを演出し、列車の運転に合わせて敦賀の街と鉄道を紹介してくれる。

中央に敦賀駅。島式プラットホームが3本ある。手前の建物は東洋紡の主力工場

 国際都市敦賀のまちなみは、昭和20年に復元された空襲前の地図を参考に作られた。敦賀駅前には看板建築の商店街がある。看板建築は大正から昭和にかけて流行した商店の様式で、正面は洋風の平面、しかし建物自体は日本建築の瓦屋根。これだけで時代感が醸し出される。駅の周辺には水田も散在し、その奥の海岸に倉庫、民家、洋式のビルが建つ。海運で栄えた町の中心は港だ。敦賀駅は広い用地を確保するため郊外に作られたらしい。

気比神宮の祭、山車が連なる
綱引きも動く

 街の様子も作り込まれていて、中央に越前国の一宮、気比神宮がある。祭の山車の長い列が動き、綱引き大会が盛り上がっていた。この綱引きは「夷子大黒綱引き」といって400年も続く神事だという。街に配置された人形は和装と洋装が混じり、国際都市の雰囲気を盛り上げる。消防出初め式、牛の品評会など、見どころは豊富だ。バスは2台、駅前と東洋紡を結ぶ路線と、気比神宮を周回していた。

鉄道部分は昭和時代、SLからディーゼルカーへの過渡期

 敦賀駅の右側から奥へ延びる単線の線路、その先に金ヶ崎駅、後の敦賀港駅がある。蒸気機関車が客車2両を連れていく。これが欧亜連絡特急だ。東京~欧州間の国際列車のスケール感にしては短い列車だけど、東京~米原間の急行列車に増結する形で運行されていた。渡航客や汽船の乗員に見合った規模と言えそうだ。

敦賀港と港町

 金ヶ崎には国際航路の汽船が接岸しており、いまにも出発するところ。船上の人々と見送りの人々を無数の紙テープが結んでいる。敦賀港内も汽船が動いている。敦賀駅からは見えにくいけれど、金ヶ崎の向こうにウラジオストク港も作られている。距離感が違うとは言え、お茶目な演出だ。

欧亜連絡列車が敦賀港線へ進む。
ウラジオストク行きの船と見送りの人々。

 ウラジオストク港を眺めたいなら、ジオラマの下の通路を這って、海に開けられたピットから顔を出そう。ピットは他に3つあり、ジオラマの中から景色を眺められる。ただし、このピットは原則としてお子様推奨サイズだ。大人の体格ではキツい。そこでもうひとつオススメしたいスポットはフロアの2階だ。ジオラマの全景を見渡せる。あらかじめオペラグラス(小型双眼鏡)を持って行くと楽しいと思う。

 さて、鉄道ファンにとってはHOゲージの線路部分が見どころだ。敦賀駅の左側はループ線、右側にはスイッチバックが再現されている。山岳路線だ。敦賀港は三方を山に囲まれており、風待ちに都合の良い天然の良港であった。しかし、それは鉄道にとって厳しい地形でもあった。線路部分は、鉄道が高低差とどう向き合ってきたかを紹介している。

ループ線部のピットからの眺め

 ループ線は「らせん状に敷いた線路」だ。直線で線路を敷けば急勾配になるし、トンネルを作れば長大になる。そこでカーブで距離を稼いで勾配を緩くした。スイッチバックは「前後逆方向に勾配を組み合わせた線路」だ。つづら折りである。列車は行なったり来たりを繰り返して勾配区間を上下する。また、勾配の途中に駅を作る場合、線路が勾配の途中だと安全に停まれない。そこでスイッチバックを使った平坦な駅を作った。

右側は福井方面の旧北陸本線のスイッチバックを再現。その下の窓は北陸トンネル
南越前町の旧北陸本線跡は道路になっている。ここは山中トンネルと山中信号場跡。左のトンネルはスイッチバック用のため行き止まり。右のトンネルが本線。

 北陸本線の最初のルートは険しい山岳を避けて建設された。それでも12カ所のトンネルがあり、とくに1352メートルの柳ヶ瀬トンネルは当時の日本最長で、日本で初めてダイナマイトが使われた工事でもあった。急勾配も多く、4カ所のスイッチバックがあった。それでも上り切れない機関車が逆戻りし、トンネル内で乗務員が窒息死するなど重大な事故が起きた。

 しかも単線の急勾配では、長編成の重量貨物列車は運行できない。そこで1957年に近江塩津経由の新線が建設された。旧線は柳ヶ瀬線と名前を変えてローカル線になった。1963年には「鳩原(はつはら)ループ線」が開通し複線化された。

 つまり、このジオラマでは、敦賀の街と金ケ崎への支線は戦前の風景、北陸本線の線路は戦後の風景になっている。1963年のループ線開通以降で電化される前。航空路は少なく、マイカーも普及途上で、陸路の主役が鉄道だった時代である。

 線路だらけの敦賀駅構内とは対照的に、線路がゆったり敷かれている。これだけの広さで、なんとも贅沢な空間の使い方だと思う。制作は大型商業施設や国立博物館、ビジネスショーの企業ブースのディスプレイで実績のある丹青社が担当した。このジオラマが何を見せたいか、その意図がストレートに伝わってくる。仕上げも緻密で、線路から砂埃が立ち上りそうな、非電化幹線の独特の景色を再現している。敦賀赤レンガの公式サイトに制作過程の動画がある。小学校の体育館に広げた平面図が、だんだん形になっていく。

 走行する車両はD51形蒸気機関車がけん引する旧型客車、DF50がけん引する貨物列車、キハ20系のローカル列車、キハ28系急行列車、キハ181系特急列車など。蒸気機関車からディーゼル機関車への過渡期だ。昭和40年代生まれの筆者にとって、懐かしさを感じるギリギリの時期。キハ28系の長編成が頼もしく、キハ181系に食堂車を見つけて嬉しくなる。

キハ28系急行が敦賀駅に進入する
キハ181系特急が駆け抜ける
国鉄の無煙化施策により、蒸気機関車からディーゼル機関車へ交代する時代だった

 この時代のあと、敦賀はどのように変貌したか。その確認は簡単だ。赤レンガ倉庫から出て街を歩けばいい。敦賀港線は廃止されている。しかし、2023年3月の北陸新幹線敦賀延伸開業までに、敦賀市は金ケ崎地区を鉄道公園として整備する計画を持っており、構内で蒸気機関車を走らせる予定もあるという。

 現在、東京~敦賀間は北陸新幹線と金沢から在来線特急に乗り換えて約4時間20分だ。北陸新幹線で東京~敦賀間を直通すると所要時間は約3時間10分になる見込み。1時間以上の短縮になる。もっとも、現在も東海道新幹線に乗り、米原で在来線特急に乗り換えると3時間を切る。実は敦賀は近い街だった。

 もし、敦賀を訪れる機会があったら、ぜひ赤レンガ倉庫と「ノスタルジオラマ」を訪れてほしい。いや、ここを目的地として旅に出よう。北陸新幹線の延伸開業が楽しみだ。

敦賀駅から気比神宮までの商店街に、『宇宙戦艦ヤマト』と『銀河鉄道999』の名場面を再現したモニュメントが28体設置されている。敦賀駅から赤レンガまで、この道を経由して歩くと約30分で着く