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「ガンプラブーム」の中、大河原邦男氏や、ストリームベースはどんな想いを持っていたか? 「メカデザイナーズサミットVOL.08」レポート

3月20日

 稲城市は稲城市観光協会の協力のもと、「MECHANICAL CITY INAGI PRESENTS メカデザイナーズサミットVOL.08」を3月20日に開催、You Tube Liveよりオンライン配信された。本放送はライブ配信のみでアーカイブ化はされていない。

 この放送では「機動戦士ガンダム」など様々な作品を手がける大河原邦男氏、モデラー集団「ストリームベース」でガンプラブームを牽引した小田雅弘氏、川口克己氏。3氏がフリーライターの廣田恵介氏の司会の元、ガンプラ発売前からの時代など様々な事柄を語り、当時の模型シーンが垣間見える非常に面白いものとなった。

告知の際、配布されたポスター

1979年「機動戦士ガンダム」放映から、プラモデルの世界に何が起きたか?

 「機動戦士ガンダム」放映時「ガンダム」関連の商品はクローバーから発売された合金玩具で、その後バンダイからプラモデルが展開する。しかし模型雑誌「ホビージャパン」では、モデラー達により1から形を作る“フルスクラッチ”による作例が既に掲載されていた。

 小田氏、川口氏はモデラー集団「ストリームベース」のメンバーだが、この集まりそのものは模型店を中心としたサークルだった。メンバーの中にホビージャパンのライターがいた関係で、小田氏はゲルググ、川口氏はザクを“SF特集”のコーナーに作例を出したとのこと。

登壇者紹介。「機動戦士ガンダム」、そしてガンプラブームの中心にいたと言える人物だ

 ホビージャパンには読者からの投稿も多く寄せられていた。投稿の1つに「ポリエステルパテ」というものが使われており、小田氏は衝撃を受けた。「ポリエステルパテなんて聞いたことがなかった」。粘土状の硬化剤と主材を混ぜることで使うポリエステルパテは15分ほどで硬化し始め、形を整えることができる。従来のプラモデルの隙間埋めなどで使うラッカーパテは硬貨まで時間がかかり収縮してしまうため大型パーツには向かなかった。こういった新素材も取り入れていったという。

 川口氏のザクはプラ板を何層も重ね合わせた上で、それを削り込むことでパーツを作っている。プラ板をかなり削らなくてはいけないため川口氏は外に出てブロック塀や道路にパーツをこすりつけて形を整えていたとのこと。ガンプラ発売前、モデラー達はこのように様々な工夫でパーツを自ら作り出し、オリジナルのガンダムプラモデルを作っていたという。

 ちなみに大河原氏自身も思い入れの深いザクを立体化するため、自分で木を削って立体物を作っている。番組放映中に作業を進めていたが、ガンダムがプラモデル化すると言うことで、作業を途中で止めてしまったとのこと。

「タミヤ ポリエステルパテ(40g)」。当時はこういった製品は販売されておらず、模型用の工具の入手も難しかったという

 小田氏が「機動戦士ガンダム」に惹かれたのはその「ミリタリーらしさ」だという。「悪の宇宙人と正義の地球人」というこれまでのSFアニメの定番ではなく、「機動戦士ガンダム」では戦争という「人間同士の戦い」が描かれたところに強く惹かれた。そして自身のミリタリー知識を活かしてガンダムを解釈していった。ストリームベースは同人誌も作っており、放映中に世界観をふくらまし、作品世界を補完するようなオリジナルの設定を作っていったとのこと。

 メカデザインを担当する大河原氏も試写で「機動戦士ガンダム」の第1話でのザクの描写に驚かされたという。これまで自身が関わったアニメとは異なる作劇が展開するその描写は印象に残っているとのこと。

 ちなみに、ガンダム、ガンキャノン、ガンタンクに関しては、最初は安彦良和氏のイメージでまとまったガンキャノンを主役メカにしようとしたところスポンサーが難色を示し、ガンダムを安彦氏と大河原氏で作り上げた。主役メカはもう1体必要とのことで、「後は大河原さん自由にやって」ということでのガンタンクとのこと。

 メインスポンサーであるクローバーはトイメーカーだ。“おもちゃ”としてのプレイバリューを出すため、制作側はコアブロックを核にした組み替え遊びを提案した。そのときの変化も考えてのガンタンクだという。また敵となるザクも監督の富野由悠季氏から、「モノアイ以外は自由に書いてくれて良い」というオーダーだったとのこと。

 ガンダムは番組終了後、劇場版が制作されるころに大きなブームとなる。特にガンプラブームは社会現象にまでなっていった。ガンプラは商品をそのまま組むだけでなく、ストリームベースの見事な作例など、モデラー達の作例が当時の少年達を大きく魅了した。

 その中で多くの読者に読まれたムック本が「HOW TO BUILD GUNDAM」である。ストリームベースの作例は「キットの通りではないこと」が大きな特徴だった。大胆にパーツに手を入れたり、オリジナルのパーツまで自作したりする。それは小学生には真似ができないような高度なものだったが、既存のプラモデルに大胆にアレンジを加え、プラモデル工作のための様々な道具を求めるなど、模型技術の向上と普及のきっかけにもなった。

現在kindle版が発売されている「HOW TO BUILD GUNDAM」。ガンプラブームを強く後押ししたムックだ

 この時ブームをさらに後押ししたのが「MSV(モビルスーツバリエーション)」である。打ち合わせから大河原氏がアニメには登場しなかった様々な派生タイプMSのイラストを描き、ストリームベースが立体化するという流れは、当時大学生であった小田氏にとって「こんなにうれしいことはない」という事だったという。

 大河原氏もアニメの様々な制約がある仕事ではなかったので「好きなことがやれた」という。この時期の大河原氏は劇場版「機動戦士ガンダム」に加え、ポスターイラストなども一手に手がけ、非常に多忙だったが、その中でMSの“バリエーション”を考え、絵にしていく作業は楽しかったとのこと。

 小田氏はバンダイの静岡工場に呼ばれ、プロの開発者に「ザクの頭部の造形」などを話す機会があったとのこと。この時感じたのは各商品によって担当者が別で「ザクの標準的な頭部の形」といった設定はなく、このため違う担当者にもう1度1からザクの頭の形を話すといったことなどもあったとのこと。

 放送では当時を振り返ったり、今のことを語ったり、様々な話題が上がった。視聴者からの質問もあり、興味深かったのが「ガンプラ以降で大きく変わったこと」という質問だった。川口氏は「玩具がアニメのデザインに近づいた」ということを挙げた。大河原氏は「それまでの玩具はまずギミックありきだったが、アニメ作品をきちんと表現していることが求められるようになった」と言葉を加えた。

 それまでは玩具メーカーが「これが面白いのではないか?」というものが商品となっていたが、ユーザーが商品を求め、それをメーカーが意見を聞き、その上で商品が出る。そういう流れがガンプラ以降では見られるようになったという。

 話題は様々なものがあり、非常に興味深い番組だった。登壇者の人柄や、作品についてのこだわりや思い入れも感じられ、特に筆者のようなガンプラブーム直撃世代には面白い番組だと感じた。できることならアーカイブを希望したい番組だ。