特別企画
「機は熟した!」、F1プラスチックモデルを生み出し続けた木谷真人氏が、「1/20 ロータス33」に託した想い
2021年7月2日 00:00
- 【1/20 ロータス33】
- 今夏発売予定
- 価格:5,500円(税込/予価)
本稿の“前編”にあたる「F1プラスチックモデル設計の第一人者・木谷真人氏が、24年の時を経て手がける『1/20 ロータス33』とは何か?」では、今夏発売予定の「1/20 ロータス33」を紹介したが、本稿ではいよいよ、1/20 ヒストリック系F1プラスチックモデルと、その設計&プロデュースを手掛けるエブロ(有限会社エムエムピー)の木谷真人氏の深層に踏み込んで行きたいと思う。
前編で簡単に紹介したが、現エムエムピー代表の木谷真人氏は、1968年~1997年までタミヤの設計部に在籍していた。しかしその後、自ら企画の立ち上げに従事した1/20 グランプリコレクションシリーズの「No.44 ロータス25 コベントリークライマックス」(1997年9月発売)のリリース直後に、さまざまな要因が重なり同氏はタミヤを退職してしまうこととなる。
結果、木谷氏が1972年型「ロータス25」の設計内に仕込んでおいた「1975年型『ロータス33』へ進化させることができる」というギミックは、実現されることなく終わってしまった。筆者はこのギミックを1997年の段階で知ってしまったものの、その話を世に向け公言することができなくなってしまったのはもちろん、それ以上に、その後の木谷氏の活動に対して15年近く悶々とした気持ちを抱き続けることになってしまった。
なぜならば──タミヤ退職後の木谷氏は1998年にエムエムピーとして独立、エブロブランドにて1/43 ダイキャスト製ミニチュアカーによる日本の旧車などを続々とリリースしはじめ、国内ダイキャスト製ミニチュアカーメーカーとして早々とトップの座に踊り出ることに成功した。
その事象自体は非常に喜ばしいことであったのだが、ただし、同氏がタミヤを退職してしまったため、1/20 F1のプラスチックモデル設計からリタイヤしてしまったことはただただ「残念」のひとことに尽き、どうにもこうにも自分の心を収める場所が存在しなくなってしまったのだ。
が──2011年10月15日より幕張メッセにて開催された「第51回 全日本模型ホビーショー」会場にて、さまざまな意味において己の幸福感が爆発することになる。というのも、エブロがダイキャスト製ミニチュアカーではなく、1/20のプラスチックモデルにおいて、2012年よりF1モデルシリーズを展開しはじめることが公にされたのである。
「……いやね、だって、タミヤさんから独立した直後から言っていたでしょう? “機が熟したら、いつかは1/20でF1のプラスチックモデルシリーズを立ち上げたい”って。要するに、ようやくその機が熟したんですよ、いま」
本稿では24年という時を経てスタートする木谷氏の「ロータス33」への“物語”を紹介していきたい。
「木谷真人」という絶対的存在がシーンに返り咲いた満足感
「第51回 全日本模型ホビーショー」会場にて、1/20でF1のプラスチックモデルシリーズ立ち上げを発表した木谷氏。その際にシリーズ第1弾として決定したアイテムは、「タミヤ在籍時にいくら企画を提出しても通らなかった」という1970年型のLOTUS type 72C 1970(ロータス72C)であった。
それまでフロントに設置されるのが常識だったラジエターをサイドポンツーン内に配置してボディ全体をウェッジ シェイプ(クサビ型)にした革新的なデザインを有したマシンで、名手ヨッヘン・リントの手により、この年のドライバーズチャンピオンとコンストラクターズチャンピオンを獲得。これもまた、ヒストリック系F1マニアからすれば「たまらない1台」であることは間違いなかった。
「ご縁があって、現クラシック チーム ロータス代表のクライブ・チャップマン(※自動車産業に強い影響を与えたイギリスのデザイナー、発明家、製造者、チーム ロータスの敏腕マネージャーであった、コーリン・チャップマンの長男)とは、タミヤさん在籍中から親しくさせていただいています。その時まだ現役でF1シリーズに参戦していた、チーム ロータス時代からのお付き合いです。なので、自分がエブロでF1のプラスチックモデルを手掛けようということになった時に真っ先に相談させていただいたのも彼でしたので、当然ながらエブロ最初のプラスチックモデルは、チーム ロータスのタイプ72Cを選択することになったんです」
その後のエブロは1/43の国内SUPER GTマシンなどを主とするダイキャストミニチュアカーと、1/20 F1のヒストリック系プラスチックモデルを「どちらが主軸なのかわからない」という状態で続々とリリースし続けていくこととなった。
木谷氏曰く、「言ってしまえば完全に二足の草鞋状態ですよ。どちらが主軸ということは考えていません。とにかくクルマやバイクが大好きなので、その時々の状況と自分の好みに合わせて今後も双方の製品化を続けていくつもりです」という、明らかに年齢不相応な(失礼発言で恐縮です)エネルギッシュな活動を続けている。
自分が社会人となり、模型雑誌の編集者を務めることになったもっとずっと以前、中学生時代から木谷氏の仕事ぶりを尊敬の眼差しで眺め続けていた身としては、エブロでのこの活躍ぶりはただただ「感激」の一言に尽きる。
なお、1/20 F1のプラスチックモデルシリーズにおいてはティレル(ヒストリック系F1マシン)やマクラーレン・ホンダ(現行最新型マシン)なども製品化しているが、やはりロータスとの繋がりが圧倒的に強く、「……そんなマニアックなマシンまで製品化して大丈夫なの!?」とこちらが心配してしまうような「ロータス88」や「88B」(1981年型)、「ロータス92」(1983年型)なども製品化を果たすこととなった。
そして──話はいよいよ今回の「ロータス33」の製品化へ至るのである。
「ロータス25」にて「一度途切れた歴史」が息を吹き返すまで
「ロータス33」への木谷氏が込めた想いについて、木谷氏の言葉を引用していきたい。
「毎年、シュピールヴァーレンメッセ(※2月にドイツのニュルンベルグで開催される世界でいちばん巨大な国際玩具見本市)の帰りにイギリスへ寄っては、クライブに連絡を取って彼を訪ねていたものです。時にはチャップマン家の実車コレクションを取材させていただいたり、彼のお宅でティータイムを過ごしたりさせていただいています。
そんな流れで訪れることになったイギリスのへセルにあるクラシック チーム ロータスの本拠では、タイプ72D(1971年&1972年型)のとなりでタイプ33のレストアが進んでいました。本当に長い時間をかけて、とてもていねいにレストアが進んでいたんです。
また、チーム ロータス伝説のメカニックであるボブ・ダンスから(ロータス33のドライバーであった)ジム・クラークの話を直接伺うことができたりした結果、“やはりいつかはロータス33を製品化したい”という気持ちが徐々に募って行ったんですよ。
もっとも、タミヤ在籍時におけるロータス25と33への知識は、いま考え直すとお粗末なものでしたね。単にトップアームとアップライトの位置関係のみに注目していて、リアサスペンションのラジアスアームボディ側のピボットの位置が変更されていることはのちに現存する実車を取材し観察する機会を得るまで認識していませんでした」。
なんともマニアックな話ではあるが、とにもかくにも、こうして今回の「ロータス33」製品化計画は水面下で着々と進んでいくこととなった。
「『ロータス25』から『ロータス33』への変更のためにエブロ側で新規作成した部品は、左右のモノコックアウターパネル、モノコックインナーパネルに追加された補強ブレース、それと共に、シフトゲート等をエッチング部品にて加えています。
また、サイド出しになったエキゾーストマニフォールド、4バルブ コベントリークライマックスFWMVエンジンのカムカバー、そしてコクピットカウリング、エンジンカバー、タイア、ホイールなどということになります。エンジンのカムカバーに凸モールドで刻印された美しい筆記体の“Coventory Climax”の彫刻は自慢です(笑)。
さらに、エンジンのエアファンネルは短くなりますので、メガフォンタイプのエキゾーストテールパイプと共にアルミの挽物で製作しています。リアサスペンションのコイルダンパーユニットについても新造して、メタルのコイルスプリングを仕込みました」
「そしてタミヤさんの『ロータス25』から供給していただくこととなったパーツは、モノコックインナーとフロアー、エンジン&トランスミッションが内包された部品と、ラジエター、アップライト関係のランナー、そしてフロントトップロッキングアームが入ったランナーです。
あと……ここだけの話ですが、本当はすべてのパーツをエブロで新規に設計し直すことも考えていたんですよ。
ただし、タミヤさん在籍時に『ロータス25』を最期に設計した初心に立ち戻って、“あの時タミヤさんでタイプ25を設計することができた感激と、あのタイプ25をタイプ33へ進化させるという当初の計画をきちんと遂行しよう”と考えるようになりました。
これでようやく、24年前への決着が付いた思いも少なからずあります」。
なお、こうした熱いドラマが繰り広げられ、それが結実した姿たるエブロとタミヤのダブルネーム製品となる「1/20 ロータス33」の完成見本が展示されていたというのに、件の第59回静岡ホビーショーのエブロブースで筆者は、その「1/20 ロータス33」について木谷氏と深くは語り合わなかった。
単なる奢り以上でも以下でもないのだが、「そこで何が起きていたのか」が一瞬で読み取れてしまったためだ。
もちろん、今にして思えば「……木谷さん、24年越しの夢がついに叶いましたね!」ぐらいの最低限の謝辞は告げておくべきだったと猛省しているのだが、実際にその旨を後日木谷氏に電話で告げたところ、「ああ、はいはいはい。でもあの時はね、“あさのさんはもう、「ロータス33」の製品化への興味なんかなくなってしまったんだろうなあ”と思っていましたよ(苦笑)」という、ごくごく当然な嫌味をいただくこととなってしまい、さらなる猛省を強いられることとなってしまった。
プラスチックモデルの世界には、こうした「ひとことでは語り尽くすことが絶対にできない、男の夢が詰まった重層的で濃厚な文脈」がときたま生じる。
今回は静岡ホビーショーの取材現場でそれをうっかり見逃しそうな不本意な事態を招きかけてしまったが(なんたる失態!)、木谷氏への追っかけ取材で、そうした文脈をなんとか形にすることが出来たと思っている。
そして今回、「どうしてロータス33のような不思議なプラスチックモデルが誕生するに至ったのか、そこにはどんなドラマが存在し、どのような困難が存在したのか」というバックボーンを詳細に紐解けたという自負もある。今後もこうした視点をきちんと持ち続け、プラスチックモデルシーンに対し伝え続けていきたい。