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【年始特集】サバイバルゲーム誕生40周年目前! 歴史振り返り&2023年トレンド展望

 1984年に専用ゴーグルが発売されてからサバイバルゲームの歴史が始まり、2023年で39年目を迎える。そこで本稿では、40周年の節目を前に「過去~ここ最近のサバイバルゲームのトレンド」を振り返り、今年のサバイバルゲームについて考えていく。

 今から37年前の1986年夏。高校1年生の筆者は、同級生と人気のない河川敷でサバイバルゲームを始めた。その後、様々な場所やシチュエーションで遊び、時には仕事としても関わってきた。その経験上、サバイバルゲームをやるのに今が最高の環境だと断言できる。2023年もそこは継続していくのは間違いない。

 それでは早速、筆者の体験を交え、サバイバルゲームのトレンドを振り返っていく。

サバイバルゲーム誕生~「流行と混迷の1980年代~1990年代」

 戦後のミリタリーホビーにおける銃を使った撃ち合いは、低年齢層による威力の低い銀ダマ鉄砲や輪ゴム鉄砲を使ったものと、成長したマニアによる弾の出ないモデルガンでの「戦争ごっこ」が主流だった。そんな中、1979年にマルゼンによってエアソフトガンに6mmBB弾が採用、1984年にBB弾から目を守る専用のゴーグルが発売されたことで「サバイバルゲーム」が誕生したのだ。

当時の資料「19XX昭和の旅 総集編」

 1980年代のエアソフトガンは、実銃に近い作動やディテールが求められていたモデルガンとは方向性が違っていた。ヌンチャクなど、“中二病青少年”が部屋で楽しむ“武器”としての傾向が強かったのだ。サバイバルゲームが始まった1984年頃には、エアソフトガンはカートリッジに1発づつBB弾を詰めるコッキングエアー式が主流で、サバイバルゲームで活躍する為のツールとしての実用性が求められ、実銃とはかけ離れた外観の物も少なくなかった。

 そのため、サバイバルゲームで着る服や装備も、雰囲気があれば細かな考証は二の次、実用性を考えて着る場合がほとんどで、色合いやパターンにこだわるゲーマーは少数派だった。むしろ服や装備にこだわると、エアソフトガンとのアンバランスさが浮き立った。

 しかし1985年、モデルガンメーカーがパワーソースにフロンガスや圧縮空気を使うことで、リアルかつ高性能のセミオートとフルオートのエアソフトガンを投入した。所謂「ガスガン」である。ガスガンは連射性に加え、パワーも上げられたので瞬く間にサバイバルゲームシーンを席巻した。そんなガスガンが誕生し、サバイバルゲームがセミフルオート化した1986年に公開されたのが、ベトナム戦争映画「プラトーン」だ。

1980年代の装備イメージ
映画「プラトーン」

 公開後には、劇中で使用された「M16(民間型のAR-15)」のエアソフトガンが多数リリースされたこともあり、「ナム戦米兵」の装備や衣類にこだわったサバイバルゲーマーが激増した。一方で、ガス式で強烈なハイパワーが当たり前になり、1980年代末~1990年代初頭には問題にもなった。また、装備面でも、自身のコダワリを他者にも押し付ける風潮が増えた様に思う。

1990年代初頭の装備イメージ

 そんなガスフルオート全盛の1991年、東京マルイが世界初の量産型電動エアソフトガン「FA-MAS」を発売した。パワー上限ではガスガンに及ばないものの、バレル固定式の電動ガンが普及し始めた。特にバレル固定式の電動ガンは、BB弾に回転をかけて飛距離を伸ばすホップアップとの相性が抜群だった。ハイパワーの撃ち合いに疲弊していたサバイバルゲーマーも増えていたことで電動化が加速し、1995年にはかつてガス化を推し進めた複数のメーカーが消えていった。メインには電動の長物、サイドアームにはガスハンドガンという今も続く定番スタイルが確立したのが1990年代半ばだ。

 また、社会的にインターネットとテレビゲームが広く一般的に普及したこともサバイバルゲームに大きな影響を与えた。「バイオハザード」(1996年発売)や「メタルギアソリッド」(1998年発売)といったゲームから、エアソフトガン・サバイバルゲームに興味を持つ人が増えたのだ。

 それまで、モデルガンメーカーの「不具合は自分で直すのが当たり前」という意識からくる粗製濫造によるトラブルが多発していた中、東京マルイは「初めて購入してもちゃんと動く」という、本来は製品として当たり前のことを常識化した。

 初心者やライトユーザーを蔑ろにしてきたツケを払うように、エアソフトガン業界は淘汰が進み、マーケットが小さくなったのだ。しかし、そんな状況でも「ナム戦」ブームは続いていた。そこにテレビゲーム世代が増えたことで「次のブーム」に向けての土台が固められた時代だった。

1990年代半ば頃の装備イメージ

2000年代~現在「サバイバルゲームの国際化とブーム再燃」

 2000年代初頭には、ミリタリー的にも社会的にも大きな出来事が2つ起こった。アフガニスタン、イラクに始まった米軍と現地ゲリラによる「中東地域の戦闘」と、「中国のWTO(世界貿易機関)加盟」による世界の工場化だ。

 2001年に起こった「9.11」に端を発した米軍の戦闘は、当初の予想に反して長期化することになった。かつて1991年の湾岸戦争では、地上戦が比較的短期間で終息したのに対し、アフガニスタンとイラクでは戦闘が長期化、結果としてサバイバルゲーマーが真似したくなるような数多くの戦争映画が作られる原因となった。

 特にウサーマ・ビン・ラーディン暗殺作戦をドキュメンタリータッチで描いた映画「ゼロ・ダーク・サーティ」は高い評価を得ていたし、当時から現在にかけて同作戦にて使用されたと言われる米海軍特殊部隊「SEALチーム」のアサルトカービンを再現した東京マルイの次世代電動ガン「DEVGRUカスタム HK416D」をはじめとした米軍特殊部隊のウェポンを使うゲーマーは多い。インターネットの普及と相まって、地上部隊の様子がリアルタイムで仔細に解る時代が到来したことも、ミリタリーファンにとって大きな変化だったと言える。

2000年代の装備イメージ
映画「ゼロ・ダーク・サーティ」
東京マルイ次世代電動ガン「DEVGRUカスタム HK416D」

 そして2003年、中国がWTOに加盟したことで「世界の工場」となった。これによって一度米軍の最新装備の画像がアップされると瞬く間にそれが再現され、世界中で入手出来るようになったのだ。ベトナム戦争などこれまでのゲリラと言えば、「古びた手造りの装備品」に身を包んだローカルなイメージだったが、中東のゲリラは打って変わって「最新の装備」に身を包んでいることも珍しくなくなった。

 また、中国の「世界の工場化」はエアソフトガンにも波及、香港や台湾を中心に新興のメーカーが大量に登場し、海外マーケットが拡大したことで、世界的なサバイバルゲームブームが始まった。

 世界的なサバイバルゲームブームが始まりメーカーが増えた分、日本メーカーが発売していなかった製品、マイナーな機種がリリースされるようになったのも2000年代の特徴と言える。

 代表は、何と言っても中国人民解放軍でもポピュラーな各種AKシリーズである。長らく東京マルイの「AK47」をベースにしたバリエーション展開のみだったAKだが、後継機の「AKM」、かつてLSのコッキングエアーとガス式以後途絶えていた「AK74」、同口径で最新鋭の「AK102」といった、ロシアの正式採用銃も展開。ユーゴスラビアやチェコ、ハンガリーのローカライズ版にいたるまで、把握しきれないほどの製品がリリースされているため、現在は旧東西両陣営から民間軍事会社・非正規武装組織に至るまで、こだわって装備を再現するのに最適な時代となった。

中東地域で活動するクルド部隊装備の筆者
ウサーマ・ビン・ラーディン仕様の海外製「AKS74U」

現在「ライトユーザー・フィールド増加で参加が容易に」

 2003年に発売された「コールオブデューティー」の大ヒットもあり、エアソフトガンに興味を持つ、いわゆる「ミリオタ」ではないライトユーザーが増えたのも2000年代の大きな特徴だ。

 1990年代から次第に増えていた「テレビゲーム世代」が爆発的に増えたのだ。それと合わせて、中国製のコスチュームが安価に入手出来る現在は、映画やアニメ、ゲームの登場人物の装備を再現しやすくなっている。コスプレ衣装も豊富だし、特殊な小物もある。かつてキャラクターになりきるのは衣装や小物を自作したり高価な衣装を購入する必要があったが、コスプレが誰でもできるものになったように、「なりきりサバイバルゲーム」も身近になったのだ。

機動戦士ガンダム ジオン公国軍制服(下士官ver.)

 時を同じくしての日本国内のサバイバルゲームブームも再燃した。2000年代初頭から各地に整備されたサバイバルゲーム専用フィールドの存在が大きな要因だろう。

 筆者が初めてサバイバルゲームをしたのは、人気の無い公共の河川敷だった。黎明期には現在のような「サバイバルゲーム場」というものは存在しなかったので、河川敷や人里離れた山の中で“こっそり楽しむ遊び”だったのだ。ショップや雑誌社が主催する大規模なイベントは管轄の役所に届け出を出して行なっていたが、ほとんどの場合は、無許可で行っていた。当時はそれをとりたててとやかく言う風潮もなかったが、現在は周囲に人がいなくとも樹脂製のBB弾をバラ撒く行為は様々な問題から認められない。

 また、当時遊んでいた場所は駅から遠い場合がほとんどで、自動車が必須だった。当然ながら更衣室もトイレも無いのが当たり前だったので、女性のサバイバルゲーマーは極めて珍しかった。

 サバイバルゲーム場自体は、1990年代半ばから次第に地方に誕生し始めていた。筆者も当時関東では珍しかったサバイバルゲームフィールド「さがみ湖ピクニックランド」を何度か利用した。しかし、2000年頃になると利便性の高いサバイバルゲーム専用フィールドが各地に多数整備されるようになったのだ。トイレや更衣室があるフィールドがサバイバルゲーム誕生から15年近く経ってようやく誕生したのは、間違いなく大きな発展と言える。加えて、東京マルイ製電動ガンへの信頼性のなせる技だが、レンタルのエアソフトガンや衣料品がサバイバルゲーム場にあることも当たり前になった。これによって女性のゲーマーも増えてきている。

 その気になれば手ぶらでサバイバルゲームを始められるので、現在のサバイバルゲームはこだわらない自由も保障されている。仲間内で集まって行なうサバイバルゲームは主催者の好みでハードルが上下するが、フィールド主催であれば、レギュレーションの範囲内で自由な服装で参加出来るのだ。サバイバルゲーム参加のハードルは限りなく低くなっている。

弊誌の屋敷もミリオタではないライトなサバゲーマーだ

ポストコロナ禍の2023年以後「サバイバルゲームの展望」

 2020年初頭に世界に拡大したコロナ禍は、2022年末にようやく出口が見え始めた。本項目では、このウィズコロナの時代を振り返りつつ、ポストコロナ禍のサバイバルゲーム事情はどうなっていきそう、あるいはいくべきかを考えていく。

 2021年末には、東京マルイが満を持して電子トリガー式の次世代電動ガン「MP5 A5」を発売した。2022年末には第2弾の次世代電動ガン「MP5 SD6」も発売。さらに「P90」の電子トリガー化も発表された他、2023年には待望の東京マルイ純正「リポバッテリー」投入も予定されている。

 リポバッテリーには「容量の増加」と「小型化」という特徴がある。ここ最近新製品の無かった電動ガンハンドガンタイプ(2019年の「HK45」以来)電動コンパクトマシンガン(マイナーチェンジを除くと、2007年の「MAC10」が1番新しい)への搭載も期待したい。ハンドガンならば、プレミア化しているセミフル切り替え式の「VP70」、あるいは「M93R」が実銃同様バースト射撃できる様になるのも期待したい。コンパクトマシンガンでは、スタンダードタイプが絶版になって久しい「UZI SMG」など人気アイテムが一気に増えそうだ。

次世代電動ガン「MP5 A5」の完成度は非常に高い
電動ガン「M93R」は2005年発売

 海外勢は電子トリガーとリポバッテリーで先行していたが、特に従来品のリポバッテリーは保管方法が特殊であったり発火などに気を付けなければならないため取扱が難しく、安全性が担保されていたとは言い難い。筆者も実際のところ、周囲が電子トリガーとリポバッテリー化された電動ガンが増えるのを見て興味はあったが、やはり安全性の面で躊躇していた。

 筆者の様に「マルイ待ち」だったユーザーも多く、2023年に純正「リポバッテリー」が展開されれば、一気に普及するだろう。不足していた半導体が、スマートフォン市場の減速で余裕が出始めているというニュースも普及の追い風になりそうだ。

 また、年末に大きなニュースとなった、生分解性バイオBB弾の表示の問題もある。生分解性バイオBB弾は地中に埋まったり、水中に沈んだりしないと分解しにくい、ということが明らかになったのだ。

 サバイバルゲームフィールドというクローズドな場所なので、地表に散らばっていても問題はないとも言える。しかし持続可能性、環境負荷を無視できない社会情勢だけに、サバイバルゲーマー、エアソフトガンユーザー、メーカーとしても現状に甘んじることなく、貢献していくことが求められる。

 より分解しやすいBB弾の追求が求められるが、ユーザーも無駄弾をバラ撒かないようにすることで貢献できる。それには、電子トリガーでのバーストコントロールは非常に有効だ。東京マルイの次世代「MP5」シリーズは海外製品にはほとんど無い、セレクターによるセミフルバースト切り替えができる。今後、他社も追従していってほしいところだ。

 また、ガスガンのパワーソースのノンフロン化は東京マルイが先鞭を付けているので、ユーザーも応援していくことが大事だ。CO2のボンベやガスの空き缶、バッテリーのリサイクルなども課題となるだろう。

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2023年も引き続きサバイバルゲームに最高の環境!やらない理由はナシ!

 2000年代初頭までのサバイバルゲームは、エアソフトガンの威力が高く危険を伴ったり、こだわりを要求されたり、過酷な環境だったり、とても人に勧められる様なものではなかった。筆者はそんなこともあって業界を離れ、趣味で楽しむだけになっていた時期もある。しかし今はこうして、初心者に是非やってみてほしいと胸を張って言える環境が整っている。2023年もそこは継続していくのは間違いない。

 興味があってもやったことのない方、かつてやっていた方も、是非手ぶら参戦から始めてほしいと思う。